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桑港はサンフランシスコの咸臨丸の石碑についておもうふこと

さて、つい先日私がアップした桑港サンフランシスコ咸臨丸石碑

なかなかのロケーションに位置し、周りは見応え一杯である。しかし・・・・・・!

現地は意外にもえっ??これは??ちょっと?? (´・ω・`)

という感じの部分が多分にあるのです・・・・・。

でもコレを世界に向けて発信してしまうのはどうなのかと、ちょっぴり迷っています。

どうしても現地の正確な印象と情報を知りたい方は、メールにてお問い合わせください。

折り返し返信いたします

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謹賀新年!桑港はサンフランシスコの咸臨丸の石碑 その弐!

やって来た美術館の前庭を戻って左手の方向をみると・・・・!

ありました!駐車場の見晴らしの良い一角に!ありました!
*注 この記事をはじめに上げた時は、てっきりこの場所はリージョンオブオナーの一角かと思っていましたが、ここはリンカーン・パークという加州の公園の一部に当たるようです。まぁ目印はリージョナルオブオーナーの美術館てことで

咸臨丸 アイフォン

駐車場の後手で少々隠れては居ますが、サンフランシスコの湾を綺麗に後ろに見渡せる一角に、ありました!

感激 感動 感涙!

きっとあの湾を咸臨丸は遠路はるばる荒波をかき分けてやってきたのですね・・・・・!
(何れの写真も、クリックするとより大きく見えます。そのまま適切なサイズにする方法がわからなかった ・゚・(つД`)・゚・ ウェ―ン)

DSC00748.jpg


咸臨丸の石碑の後ろは正に絶景かな!この日は天気が良かったので、綺麗にゴールデンゲートブリッジが見えます!


DSC00732.jpg

所で、咸臨丸がこのサンフランシスコにやって来た理由には、米修好通商条約の条約批准書を交換をする使節団の随行艦だったそうで、実はメインではなくてサブキャラ扱いだったようです。

それでも押しの強い勝海舟先生は我こそは艦長に!と自薦して咸臨丸の艦長になったはいいものの、その時の航路は荒れに荒れまくり、並大抵の航海では無かったようです。そしてそんな荒れた天候の下の航海により、流感に掛かる人が続出して船員二名が亡くなったことは、歴史ファンの方なら既にご存知のエピソードでございましょう。

そして勝海舟自身も流感にかかり、結局は艦長としての役割をろくに果たさずに桑港まで命からがら辿り着いたとか。

航海中の肝心の船の操舵などの重要な部分は、米国海軍きっての軍人であるブルック大尉が行ない、彼がこの船の本当の艦長であったということは周知の事実かもしれませんね。

(ご、ごめんなさい勝海舟ファンの御仁!夢を壊したでしょうか?)

それでもこれだけのサイズの船が、はるばる日本からやって来たということは偉大な功績であり、歴史的な出来事であったことには間違いありません。だかころ、咸臨丸が荒波を超える勇姿は切手にまでなったのでしょう。

ブルック大尉の航海日記
咸臨丸こぼれ話
咸臨丸の歴史

いやぁそれにしても・・・・この航海で勝海舟と1万円札でお馴染みの福沢諭吉の間に後年溝が出来てしまった理由が何となくわかる気もします。すんげぇ危険で大冒険な航海です。

所でこの非常に危険な航海の乗組員の中には、幕府の命令で有無も言えずに乗り込んだ乗組員がいます。この人達は苗字も持たない立場の人達であり、ましてや幕府の命に背くことなども出来なかったことでしょう。

そんな彼らが遠い異国で亡くなりその地に埋葬されることになるとは、なんとも言えない心持ちになります。

今でも "KanrinMaru" とウェブサーチしてみれば、カナリの英字の史実がはじき出されてきます

石碑の正面も見てみました

DSC00741.jpg

当然のことながらかなり立派な作りになっています 裏面はどうでしょうか?


DSC00738.jpg

石碑の裏には当然のことながらこの石碑が建立された理由が書かれていますね。
この石碑は1960年に大阪市によって建てられたとは、知りませんでした!確かに桑港を含めて西海岸には大阪を含めた関西圏の人が多い気はします。

さすが大阪人のバイタリティー!

同じく石碑の隅には ”東京青山 石勝”と入っていますが、おそらくこれはこの石碑を製作した石材店の名前だと推測しています。

DSC00743.jpg

石碑の前方にも、この裏面に表示されているものと同じ文面が石盤に書かれています。


うーん!色々と感慨深いものがあります!

この咸臨丸の石碑が位置するリージョンオブオナーの一角は、写真で見てわかるように駐車場が目の前にあります。
そして美術館をちょっと見あげる地形にあるのですが、やはり背後の景色はすばらしい!

一日中時間をすごせる史跡ではありませんが、 日本人にとっては感慨深い史跡のひとつであることには間違いが無いことでしょう! 次は福沢諭吉氏の史跡にでもいきましょうかねぇ・・・・・!?

というわけで、予定は未定ということで!


押してくれると、また写真撮ってきちゃうよ!

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謹賀新年!今年もよろしくお願い申し上げます!新春でめでたい!というわけで 桑港はサンフランシスコの咸臨丸特集!その一 長っ!

皆様!あけましておめでとうございます!
昨年はこのブログをご愛顧に賜り、またわたしの土方ラブにお付き合い頂きまして誠に有り難うございます!
そして今年もシツコク土方ラブで行こうと思う所存でございますので、どうか見捨てずにお付き合いくださいませ!

いやぁ 良いですね!新年というのは 私のように海外に住んでいる人間にとっても、新春というのは独特の空気が漂っており、なんとも言えない気分に浸れるものです。

そんなわけで今回はおめでたい新春第一弾として、
あの勝海舟先生も乗り込まれた咸臨丸の史跡を尋ねたリポートをやっとこさ上げております

写真サイズの調整とか全然わからなくて、ちょっと見づらいですがサムネイルをクリックすれば大きなサイズで見ることが出来ますので、ご容赦くださいませ!

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あの川崎さいか屋が閉店 さいか屋と織田信長と互角に戦った雑賀衆の末裔

さて、私は神奈川県川崎市の出身なのだが、今は仕事と家庭の都合で海外にいる。

しかし最近はインターネットの普及で、日本の情報は瞬時に入ってくる。

それが地元のニュースであっても。本当に不思議だ。
そしてとくに最近驚いた地元のニュースといえば、あの川崎駅前にあるさいか屋が閉店するというニュースだ。

詳しくはこちら↓

ハマレポ 50年以上にわたって川崎駅前で営業を続けてきた「さいか屋川崎店」が来年5月末で閉店するという真相は?


川崎の戦後の復興と発展を支えたさいか屋

川崎駅前のランドマーク さいか屋

川崎のさいか屋といえば川崎駅のすぐ目の前にあり、川崎のランドマーク的な存在である。

昔からこの地域に住む人にとってさいか屋は、合って当たり前の場所なのだ。

そしてこの場所が立ったばかりは、日本の中でも有数のデパートのレストランや屋上の遊園地があった。

川崎のさいか屋は、正に日本の戦後の高度経済成長を支えてきた老舗なのだ。

私は母に手を引かれ、成人式の振り袖をここで買った思い出もある。

それがなくなるとなると、昔からこの場所に慣れ親しんでいるお年寄りにとっては、寂しいの一言だろう。

川崎で事業を継続する計画もあるそうだが、全く未定というのも時代の流れなのだろうか。



ところでこのさいか屋の創業者は、あの雑賀衆の末裔である岡本傅兵衛が1867年(慶応3年)に呉服店から創業したと言う話である。

雑賀衆は戦国時代に強く洗練された軍事力を持つ傭兵集団として知られ、あの織田信長を散々手こずらせていたらしい。
それが元で彼らの多くは、織田信長に虐殺されてしまったようだが。

そんな織田信長からの迫害を交わして何とか落ち延びたわずかな雑賀衆。

そんな彼らの末裔が興したさいか屋がなくなってしまうのは、なんだか大きな穴を世間に空けてしまう気がしてならない。

ところで、川崎には一昔前に小美屋 というデパートがあったのはご存知だろうか。

このデパートは1996年に閉店してしまったが、この店も小宮さんという川崎地元の名士の12代目小宮さんが、さいか屋と同じく呉服店から立ち上げたデパートだった。

この小美屋デパートには、神奈川県で最初のマクドナルドが入店し、その当時としては若者向けの面持ちがあった。

しかし、その他西武系のデパートが川崎に来ると、やはり競争に勝てず敢え無く閉店。

歴史があることと、人気があることは必ずしも連動しないのかもしれないが。

ところで、私はこの地元の名士である小宮さんの息子と同級生だった。

彼自身は屈託のない子供で、お家もお金持ちなのでとても人気がある子供だった。

因みにこの小宮さんのお家のすぐ側には、あの新田義貞を祀った、新田神社がある。

この神社は神奈川県の中でも古く、由緒正しい神社である。またこの新田神社のすぐ側には、この神社と同じくらい古い寺院があり、400年ほど続いているらしい。

このお寺は江戸時代には、参拝すべき名所として絵巻物にも書かれている。

あの川崎大師にも引けをとらない人気ぶりだったのだ。


多くの人は川崎駅の周辺というと、あまりよいイメージが無いかもしれないが、そこには意外にも深い歴史がある。
確かに川崎には風俗店も多いようだが、それはその昔この場所が東海道の宿場町として栄えた背景があるのだろう。

現にそれらの風俗街は昔の宿場町に沿って未だにある。


しかし、少し足を伸ばせば鎌倉時代から続く数々の史跡があり、歴史と風格を偲ぶ事ができる物が数多にある。

昔はあの場所にも美しい水田風景があったのだ。

さいか屋が、その昔の思い出にならないことを願っている。


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